
ちょっと前にとある知人が、イギリスの嫌なところをたくさん話していました。(ちなみに、この方はイギリス人でも日本人でもないです。そしてその方個人の批判をしているわけではないです。) ロンドンのパブは汚くて不味くてレベルが低いとか、サービス業全般がひどいとか、そんなお話でした。私はパブが大好きだったので、ちょっとびっくりしました。そんなに嫌いな人がいるんだって、驚いたのです。
たしかに、ロンドンのなかには汚くて不味いパブもありますし、サービスに関してもひどい対応をされることもあります。(いつまでたっても注文を取ってくれないとか)それでも、すべて一般化して、ありえないというほどひどいわけではありません。むしろ、素敵なところがたくさんあります。
だけれど、どうしてそんなふうに一般化して、まとめて嫌いになってしまうんだろう、ということが疑問に思いました。なので、今日はそのお話を書こうと思います。
目次
- 彼みたいなひとはたくさんいるし、珍しいことじゃない
- フットワークの軽さと、体験の数がちがう
- 自分から歩み寄る態度がちがう
- 「自分が正しい」と思ってしまう理由
- どうしたら、ニュートラルな気持ちで新しい文化に向き合える?
- まとめ
彼みたいなひとはたくさんいるし、珍しいことじゃない
まずはじめに、住んでいるところの悪口を言うなんて、すごく性格の悪い人のように聞こえるかもしれませんが、そういうわけではありません。その方は、優しいところもたくさんあるし、良い面もたくさんあります。
そして、私自身だって、なにか上手くいかないことがあったりするとその環境のせいにしてしまうことだってあります。本当に嫌な体験をしたら、その対象グループ全体が嫌だなあって気持ちになることだってあります。
そのため、おそらくある程度大人になった後で、もしくは、ある程度自分の世界が固まった後で、なにかあたらしい世界に入ると、不満が出てくるのはごくごく当たり前のことだと思うのです。実際に、イギリス人以外の人で集まった時には、そんな「これって大変だよね」というのを共有して慰め合うと、ストレスが和らいだりもし、共感して仲良くなったりもします。
一方、ちょうどそこにいたもうひとりの人は、イギリスの生活を楽しんでいます。その方も大変な思いをしていたのは私も知っていましたが、今では「大変なこともあるけれど総じて楽しい。美味しくて良いパブもいっぱいあるから」という感じでした。そこで、この二人の感じ方や生活の仕方は何が違うんだろう、と思ったのです。どうしたら不満を貯めずに楽しめるんだろう、という疑問が出てきました。
この記事では海外生活が「大変なこともあるけれど、楽しい」になるには何が違うのかなということを書いていこうと思います。
フットワークの軽さと、体験の数がちがう
まずはじめに、楽しんでいる方(Bさんとします)は、イギリスでいろんな経験をしていました。例えば、パブやレストランについてもたくさん行ったことがあり、コンサートやライブハウスにも行ったり、美術館に行ったり、場合によってはデモに参加したりなど、普段から街の中に繰り出しているようでした。
だからこそ、Bさんは「どこか良くてどこが良くないか」をわかっているので、1回嫌なレストランにあたったからといって、全てがダメと思うことはありません。また、さまざまなところに行って、いろいろ知っているので、自分に合った良いところを選んでリピートをして楽しい思いができています。例えば、あそこは何曜日の何時までは割引しているとか、音楽の演奏があるとか、そうゆうことにも詳しいです。
そんなふうに、まずは「たくさん数をこなすこと」ってとっても大事なような気がしました。一方、あまり楽しめていない方(Aさんとします)は、数回の体験で何かを決めつけて、そして決めつけに沿って、「もうこうゆうことはしたくない」という否定的な気持ちを持っていたのでした。
新しい土地では、わからないこともたくさんです。最初からうまくいくわけではありません。それでもうまく行っている人というのは、まず数が違うんじゃないかと思うのです。すごくわかりやすいパブの話になってしまうけれど、パブひとつとっても、楽しんでいる方はいろんな街の何十個のパブに行ったことがあり、楽しんでいない方は数件もしくは十数件しか行ったことがなかったことに気づいたのです。
自分から歩み寄る態度がちがう
また、Aさんを見ていると、その土地の文化に歩み寄る気持ちがあまりないように思えたのです。その土地の文化に対するリスペストの気持ちや、興味・関心があまりないように見えました。そして、自分が今まで育った文化を「正しい」としているようで、今の土地の文化は何か足りていないものとみなしているようでした。そして、そうした態度が現地の人にも伝わっているようです。
例えば、イギリスでは日本と違う文化があります。(ここでは話をわかりやすくするために日本を比較対象にしています)すごく簡単なことですが、レストランなどでは、運んできてくれた店員さんに毎回お礼を言ったり、お店に入る時にも、目を合わせてニコッと微笑んで挨拶をしたりします。日本にいる時のように、何も挨拶をしなかったり、お礼を言わないと失礼な感じになることもありますし、そうゆう失礼な客にはそれなりの態度をとる店員さんも多いです。
逆に言えば、すごく丁寧で良いお客さんになると、店員さんも良くしてくれます。まずは挨拶する。店員さんにも、調子はどう?とか聞いてみても良いかもしれません。急かさずゆっくり待って、何かをしてもらったら、目を見て丁寧にお礼を言うなど。こうゆうことを気をつけていると、店員さんもニコニコ接客してくれて、気をつかってくれたり、丁寧な説明をしてくれたり、素敵な時間を過ごせたりします。最初は私もうまくできなくて、他の人を見て真似しました。自分の対応を変えることで、周りの対応も変わるのは、面白くもあります。実際、楽しんでいるBさんは、店員さんにも丁寧かつフレンドリーで、Aさんは少しぶっきらぼうでした。
そんなふうに、ある程度「相手の文化ではどんなことが尊重されているか」ということを観察して、彼らのルールにとりあえず従ってみると言うのは、良い一歩なのではないでしょうか。もちろん、そのルールみたいなものが理解できないことも多いけれど、ただ笑顔を作って感謝の気持ちを述べることなんて、とても簡単にできます。こういった簡単なことを「とりあえず試してみる」という気持ちが大切なのかなと思います。
どこの国の人も、自分達の文化を理解して馴染もうとしている人には優しいですし、そうではなく文句ばっかり行っている人とは仲良くなりたいとは思いません。なので、リスペクトを持って、学びながら歩み寄る気持ちというのが大切だと思います。
「自分が正しい」と思ってしまう理由
では、どうして「自分達の文化の方が良くて、相手の文化の方が悪い」もしくは、「自分達が正しくて相手が間違っている」と思ってしまうのでしょうか。これは、個人的な観察結果からですが、「現状に不満があるから、マウントをとりたくなる」という側面があるのではないかと推測しています。
新しい国に来ると、たいていそれなりに不満を抱えがちです。というのも、新しい国では、多くの人が今まで簡単にできていたことに苦労するからです。例えば、ここイギリスであれば、英語がしゃべれて当たり前とされるので、簡単な手続きに困る。仕事で苦労する。などなど、「自分はもっといろいろできる大人なのに、何もできない子供のように感じる」ということも多いです。
また、今まで持っていたものが低く見られることもあるでしょう。例えば、立派な職歴があっても、語学ができないと「できない人」としてみられることも、残念ですが、あります。また、母国で通じていた価値観が通じないこともあります。母国では見た目の良いと言われてた人がこちらではそうでもなかったり、母国では良い会社でも、こちらでは誰も知らなかったり。物価の違う国では、母国ではお金持ちでもこちらでは貧乏な部類になることもあります。そんなふうに、「周りからすごいと思われていた」ことに価値観を置いていると、「特にすごくない人」として、扱われるのが辛くなるかもしれません。
もちろん、本当にスキル等のある方なら、こちらでもすごい人として扱われるようになるとは思うのですが、時間がかかったり、ハンデがある分、母国ほどではないかもしれません。地方の神童が東京に行ったら、普通の人だったことに気づく感覚に近いかもしれません。その人が頭が良いことには変わりませんが、もっと頭の良い人やもっと資産の持っている人にあって、世界の厳しさを知るかもしれません。もちろん、すこしの差別もあります。
そんなふうにして、新しい国来ると、不満を溜めやすい環境が揃っています。特に、それなりに自分にプライドがある人ほど不満を溜めやすいのではないかと思います。そしてそのプライドを保つために、その新しい国の批判などをしたりするのです。何かを批判していると、「自分達の方ができて、見下すことができる」というプライドの保ち方がありますから。その感覚は、誰かにその人よりも自分の方が優れているというのを誇示するためにするマウンテングと似た種類のものです。
どうしたら、ニュートラルな気持ちで新しい文化に向き合える?
すなわち、いらないプライドが新しい文化の吸収を妨げることがあるよいうお話をしたのですが、ではどうしたらこのようは障壁なく、新しい文化を受け入れることができるのでしょうか。
ひとつは、「できない自分も好きになること」です。自分自身の存在価値を「何かをできる」や「有能である」に置かないことです。こういったキャリア的な価値観ばかりに目を向けてしまうと、できない自分に自信がなくなったり、挑戦しづらくなってしまいます。そうではなく、「自分が何を挑戦しているか」に注目すると良いかもしれません。結果ではなく、自分の態度に注目するのです。「挑戦している」「人に優しくしている」「偏見なく接している」そういいた結果の求めない主体性に価値を置くことで、あまり無駄なプライドに転がされなくなる気がします。
もうひとつは、「とりあえず置いておく」「まあいいや」の余裕を持つことです。些細な文化に関してイライラしてしまうときや、文句を言いたくなる時って、余裕がない時が多いです。たとえば、「何時までにこれしなくてはいけないのに、なんでこの店員さんはすごく遅いんだろう!」とイライラしてしまうような時。そんな時に必要なのは、時間の余裕です。心の余裕です。金銭の余裕です。そういったものがあれば、「まあのんびり待って、無理だったら明日にするか」と思えたり、「時間がなくなったらタクシーで行こう」と思えたり、許容度を大きくすることって大切です。余裕を持つことって、そんなに簡単なことではないのですが、ハプニングさえも楽しめる余裕があるととっても良いですよね。
まとめ
今回は、イギリスの嫌いなところを知人がたくさん話しているのをきっかけで、「何が新しい文化に馴染みやすくさせるんだろう」と思ったことも書きました。とはいえ、このAさんBさんの違いも、同じ人がはっきり分かれているのではなく、グラデーションみたいなものだと思います。調子の良い時は新しい文化にオープンだし、いっぱいいっぱいな時は全てが嫌に見えてきたりもします。
そのため、自分自身も気をつけながら、できるだけオープンな気持ちでいたいなと思っております。読んでくれてありがとうございました。