この前、幡野広志さんの「なんで僕に聞くんだろう」という本を読みました。いろんな方の人生相談に答えてゆく、おもしろい本です。
なんで僕に聞くんだろう。 (幻冬舎単行本)www.amazon.co.jp
寄せられてきている人生相談自体には、あまり自分と近しい状況の方とはいなくて、どこか他の人のことなのだけれども、幡野さんの返答がいつも予想と違ったり、自分じゃ考えられないような目線で返しているのが、とてもおもしろかったのです。
そのなかですごく、言い当てている言葉がありました。
「元被害者」という言い方で、元々何かの被害者で苦しんでいた人が、他の人にあたるような加害者になってしまった方に使われていました。例えば、「いやいややって我慢してきたことを後輩にも強いる」みたいな人のことだと思います。
これを読んだ時に「そうゆう人・状況」ってたくさんあるかも!と思ったのです。すごく、状況がありありと目に浮かぶ。
多分、「元被害者」の加害者の方は、自分は今でも被害者だと思っているんだろうと思うのです。そして、自分のしていることは”正当な”ことだと認識しているのではないでしょうか。
でも、実際には、自分がお財布を盗まれたからって、他人のお財布を盗んで言い訳がない。なのに、「言葉の暴力」とかになると、自分が傷ついたから、他の人に言ってもいい、みたいなぶっ飛んだ理論になりがちのように思います。
もちろん、狸寝入りをするんじゃなくて、お財布を盗まれたら、盗まれたことを届出たり、正当なプロセスで(法律というものがあるのだから)それにそって対処されるべきだし、それについて行動を起こすことは格好良いものだと思います。(自分で訴えるなども含む)
ところが、それ以外のところであまりに「自分が傷ついた」とか「自分が辛い思いをした」というところに頭がむいてしまっていると、なんでもかんでも被害者として自分をみてしまうことがあるかもしれない。
例えば、誰かの好意を「あ、良心でしてくれたんだな、嬉しい」と認識することと、「イラガラセかな?あの人は自分のことが嫌いなんだ」と認識することはとても違いますよね。(多分後者の方を被害妄想をいうのだと思う)
そして、後者は、相手を勝手に悪いようにもって行ってしまったり、相手の優しさをふみにじることになります。それは、加害者としての一歩だと思うのです。
そうゆうことを考えると、「自分が嫌なことをされても他の人にはそれを伝染させない」「相手の人をポジティブにフラットに受け入れる」みたいな当たり前のことを当たり前にして、自分が被害者面をしすぎないようにしたいな、と危機感も含めて思いました。