「わからない」ことって、「わからない」ということを理由にして、逃げてしまうこともあるんですが、わからないなりに行動をおこしてみたり、試してみたりすることで、見えてくるものもあると思うのです。

さいきん、「全然わからない」って思うことが、おおい。

勉強をしていて、本をよんでも、一回じゃ、わからない。なんども読み返してみて、やっと納得のいくことがおおい。なんなら、何度読み返してみても、わからないことだっておおい。

でも、「わかならない」で終わらせてしまったら、そこで終わってしまうことがおおよね。「わからない」から脱却するためには、なにか行動を起こさないといけない。

たとえば、その「わからないもの」に仮説をたててみて、それがあっているか検証するとか。「わからないもの」の一部分を、もっと簡単な言葉で言い換えてみたり、絵やダイアグラムで表現するのもいい。

すなわち、なにか、とっかかりを作る必要がある。わからないなりに。

こうゆうのは、ほかのことにも、言えると思う。たとえば、ブログをはじめたとき、「どうしたら、ブログを発展させれるのか」などが、全然わからなかった。

どんなふうに記事を書けばいいのかもわからなかったし、どんなことを書けばいいのかもわからなかった。

でも、はじめてみた。

最初は、自分が読んだ本に関する記事をたくさん書いていた。でも、本に関する記事って難しかった。まず、競合の有名なブログがすでにたくさんあったし、なりより、著作権を侵害せずに、文章をたくさん書くのは、大変だった。

ほかにも、本をいちいち読まなくてはいけないので時間がかかったり、アクセスが全然集まらないことにも、気づいた。

だから、ちがうブログをはじめた。

今のブログでも、昔の記事をみると、ひどいのがおおい、(いまたくさん書き直している)それだけ、実際にやってみたから、「だめ」なことがわかった。

だから、「わからなく」ても、行動を起こすことで、「どこがわかっていないのか」「どこがだめなのか」がだんだん明らかになってくる。その小さいステップの繰り返しなのだ。

ほとんどのことは、最初は「わからない」。素敵なモノかもしれないし、微妙なモノかもしれないし、実態がつかめない。

それは、当たり前だ。実際にはじめてみたり、ちょっとずつ自分でためしていってみるまでは、「わからない」ままなのだ。

だからこそ、「わからないこと」「謎なこと」から、逃げ出さない方がいい。もしそれが本当にわかりたいことなら、少しずつでいいから、かじりついていこう。たくさんかじっていれば、そのうち、すこしくらいは、わかるようになっているから。ね。

イギリスの暮らし

タグ

イギリス大学院留学

暮らしと考え方

YouTubeもやっています♡見にきてください!

Categories

Login