よく、ものごとを考えるときに、お金のことを考えてしまうことって多いと思います。高いものが良いものであるという思いこみや、年収は多ければ多いに越したことないだとか、そんなことです。
もちろん、ある一定のときにはそれは正しいこともあります。ただし、「お金と価値観」を一緒くたにしてしまうのはとても危険だと思うのです。なぜなら、お金(ここでは価格と呼ぶことにする)と、人の価値観はすごく遠いところにあるものだから。
目次
- 「価格」と「価値」は全く違うものである。
- ただ、「価値」を理解するのは、「価格」を理解するよりも、ずっとずっと難しい。
- 一番大事なのは、そのものの「価値」を「自分がどう評価するか」のはず
「価格」と「価値」は全く違うものである。
ここでは、「価格(お金として表面に出てくるもの)」と「価値」のふたつを言葉を使って分けています。私の定義としては、以下のようなものです。
「価格」
価値が市場の状態によって評価された結果。状況によって変わる。「価値」
そのものの本来の価値。割と不変。(もしくはゆっくりと変化する)
例えば、水500MLを例えに出すと、水500MLの価値は基本的に不変だけれど、空港の出発ロビーの中に入った後や、砂漠に行くと需要が高まるため、水500MLの価格は変わってしまいます。
そんなふうにして、価値とは別の市場の動向によって価格は決まってゆくのですね。これは水だけに限らず、有名な投資家のバフェットさんも「価値が高くて価格のやすい株を買う」ということを言っているように、価格と価値は別軸で存在するのです。
ただ、「価値」を理解するのは、「価格」を理解するよりも、ずっとずっと難しい。
ところが、私たちは「価格」の方をどうしても見てしまいますよね。それは多分、価格を見る方がわかりやすいからだと思います。
上の例を見て価値の高い株を買おうと決意したとしても、正直素人には「価値の高い株」とか「良いビジネスをしている会社」を見分けるのは難しいはずです。ビジネスの知識も財務の知識も持っていなくはいけません。
もっとわかりやすい例として、1着のコートを買うにしても、素材の性質やどの素材を合わせたら着心地の良いコートが生まれるかという知識や、裁縫に関する知識など色んな知識や知恵がないと、そのものの価値はわかりません。
それよりも3万円のコートより15万円のコートという値段を比べる方が簡単なはずです。中身や製品が作られるプロセスを比べるよりも、ずっと簡単に判断できるからです。
だからこそ、何も考えないでいると、無意識に価格の価値観が優先的に採用されるようになっているのではないでしょうか。
そして、これに対抗できる力というのは、「ものの価値に対して勉強する」になるのかと思います。
できるだけ良いものに触れて、価値があるものはどんなものかを学んでみたり、製品の材料やプロセスにも目をむけてみたり、良い消費をしている人からお話を聞くとかも良いのではないかと思います。
一番大事なのは、そのものの「価値」を「自分がどう評価するか」のはず
しかしながら、いちばん大切なところはそのものの価値を「自分がどう評価するか」のところのはずです。
すなわち、「価格」というのは、本来大事にされるべき価値観から割と離れたところにいる存在なのです。

同じ「価値」というものに対して、価格と人の価値観は別の評価軸で評価していることがわかりますよね。そしてわりとそれらは、関わりあいがない。
こんなふうにして、もののの価格じゃなくて、そのもの本来の「価値」と自分の「価値観」の軸をしっかり見れるようになると、価格に振り回されずに、自分の価値観に照らし合わせて、生活ができるのではないかと思います。
そして、価値観にあった消費というのは、その人の幸せを最大限に引き出してくれるものなのじゃないでしょうか。
そういうわけで、ものの「価値」ではなく「価格」を見る大切さと、それを価値観に照らし合わせて評価できるともっと良いよねというお話でした。