私は失敗を沢山する。

例えば、最近は大学で、今まで見たこともないくらいひどい点数の結果が返ってきた。自分では頑張ったつもりでいても、そのフィードバックはほとんど、「意味が分からない」とか「文章として成り立ってない」とか、それくらい根本的なもので、割とショックを受けた。

先週あった、大学内のセミナーみたいなものに参加したときは、同じ大学生同士で仲良くなったけれど、その後も声をかけていいのかわからなくて、タイミングを失って、話しかけたいのに話しかけられないみたいな、微妙な感じになったりもした。結局また会おうねってなれたけど、優しい人じゃなかったら、気味の悪いくらい変なコミュニケーションの取り方だったと思う。

先週プレゼンをしたときは、せっかく準備したいことを言い忘れたり、緊張しすぎて噛みすぎて、なかなか文章として喋れなかったりした。最後に、「結局こういうことであってるんだよね?」みたいにきかれて、もう一度説明することになったり、単純なこともなかなかうまくできません。

だけど考えてみれば、それは慣れない土地で知らない言語で生活しているから、当たり前のことかもしれない。(これを書いている人はイギリスで大学院生をしている)

自分のコンフォートゾーンから抜け出して、知らない人と話をしようと思うから緊張するし、友達を作ろうと思うから、たまにうまくいかないこともある。

自分から話しかけて、すごい冷たい対応がかってきた時もあるし、今でもたまに遊びに行ったりするくらい仲の良くなった人もいる。

でも例えば、自分から話しかけなかったら、冷たい対応されることもなかったかもしれない。見下すような目でみられて、無視されたりするのは、確かにつらい。

でも、それと同時に、それだけ仲良くなれる人と出会えなかったかもしれない。なかには、とっても素敵な方だっているのだ。つまり失敗をたくさんすることは、それだけチャレンジしてるって事でもあるんじゃないかなって思う。ひとつの小さな幸せを手に入れるための、挑戦の証なのだ。

どちらかと言うと嫌なことの方が、記憶に残り勝ちだと思う。

だって嫌な事って、結構覚えているし、ちょっとの事でもトラウマみたいに、「この前失敗したから、またあるかも。やだなー」みたいに思ううかもしれない。さらに、初めてのことをしていたら、成功するよりも失敗することの方が可能性が高い。とゆうより、最初からうまくいくことなんてないと言った方がいいくらい。

だから何度も何度も失敗をするし、恥ずかしい思いもするし、痛々しい思いもするし、でもそうやってそうやって、ちょっとずつ成長していってるんだと思う。

だから、端から見ていて、例えばちょっと痛々しいいって思う人がいるかもしれない。けれどそういうことは、自分のためにも声に出して批難したりしない方がいいと思う。

だって、自分がチャレンジしている時って、基本的に痛々しい時だから。必死になってもがいてる時に、周りの目なんて、気にしてられないでしょ?みんなチャレンジしている時は、失敗するし、恥ずかしいし、痛々しい。

だから、自分がコンフォートゾーンから抜け出して、チャレンジして、たくさんたくさん失敗していると、周りの人にも優しくなれる気がする。誰だって、最初からできるわけじゃないし、1の成功を取るためには、100の失敗が必要だったりする。

失敗をしている時は、失敗に目が行きがちだけど、「1のちいさな成功を捕まえるための100の失敗を今しているんだなー」って気持ちで、失敗していることに、誇りを持てるようになれたらいいなと思う。そして、他の人の失敗にも、寛容になれたらいいな、と思うんだ。 

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