きっと、あたり前であたり前のことなんだけれど、最近「自分の幸せは自分で探求しないといけないんだな」ということをヒシヒシと感じている。そしてその難しさも。
人生の前半戦では、わりとルールがあって、頑張れば頑張るだけわかりやすく幸せが降ってきた気がする。ちゃんと勉強すればするだけ、結果を得られて満足できて、良い感じの選択肢を選べて。なんだって割と、わかりやすく努力して、わかりやすく結果が出たように思う。
だけれど最近「難しいな」と思うのは、その努力の方向性が自分の求めている幸せの方向性とあっているかどうかもきちんと自分で精査しなくちゃいけないことだ。例えば、何かを盲目的に頑張っていても、実はそれは自分の欲しいものではないかもしれないし、不安に狩られて頑張っていても、ただただ場しのぎになっているだけで、本質的な所にはたどり着けていないのかもしれない。
なんとゆうか、大人になったら、その人の数だけ「幸せの形」があるので、自分に合う形を探していかなきゃいけないのだ。そしてそれは誰も教えてくれないので、自分の感覚を研ぎ澄ませて、周りの声をあまり聞かないようにして、進めていくしかないのだ。
たまに、あまりに周りの声を聞いてしまうと、ルールはないのに、ルールがあるものだと思ってしまうこともある。自分はこのルールに「そっっているのだから、幸せが降ってきて然るべきだ」と。「本当は幸せになりたいのに、ルールが邪魔をするんだ」と。でもでも、そんなルールなんて、基本的にはない。勝手にあると、思い込んでいるだけだ。ルールなんてない。幸せは勝手には降ってこない。さりげなく周到に準備してそれを自発的に選択していくものだから。
だからこそ、「自分の幸せを自分で定義して、それを実行し続けること」の責任は、自分にあること。やらないという選択をしているのが、自分であることを知ること。そんなことに、自覚的でありたいと思う。ないとは思うけれど「なんでこんなに頑張っているのに」とかならずに、ひたすら自分の目の前のちいさな「自分のことを幸せにしてくれる選択肢」を選び続ける勇気を持てればと思う。