焦ってしまうときは、「楽しむ時間が長引いた」と思うことにした。
わたしだけかもしれないけれど、若いうちにちゃんとせいこうしなきゃとかゆう焦りを感じるときが多くある。
たぶんそれはSNSとかで自分と同じくらいの年の人がプロフェッショナルとして活躍していたり、成功しているのをみて、焦ってしまうのだと思う。
もちろん、ひとと比べるのは、自分の幸せには直結しないし、やめたほうがよい(むかし、嫉妬をやめるためのいろいろでも書いたけれども)
目次
- 焦ってしまうことはあるけれど、
- 意外といちばん楽しいのは”せいこう”するまでの過程かもしれないから
焦ってしまうことはあるけれど、
それでも、ただひとりの人間として焦ってしまうところはあると思う。
だれだって早めに自分の人生を成功コース(そんなものがあるのかわからないけれど)にのせたいし、安心したい。
だからたぶん、焦ってしまうというのは安心したいという不安に踊らされている状態なんだ。
ありもしない不安に踊らされて、本当のところが見えなくなっている。
それはたぶん、無駄に保険を売りつける商売に似ている気がして、不安はそれがおこったあとからでも、対応できるものかもしれない。
意外といちばん楽しいのは”せいこう”するまでの過程かもしれないから
それに、「せいこう」してみたら意外とそれに向かって頑張っている時間を懐かしく思ったり、まだせいこうしていないからこその自由だったり楽しさだったりがなくなってしまうことを寂しくおもうのではないだろうか。
そんな気もする。
せいこうすると失うことが怖くなるし、まだチャレンジャーであるということはきっと、楽しくて有意義な時間である。
すなわち、たとえうまくいかなくても「楽しむ時間が長引いている」と思えばいい。
それに、これからなんて人生100年時代だったらきっと「たのしく何かに目指している時間が長い方がよい」から、なにかを早めに達成してしまってすることがあんまりないよりも、時間をかけてるいまを存分にたのしめればよいと思うのです。